阪神・淡路大震災から19年。
大きな揺れに驚いて目を覚ましたものの、住んでいた尼崎の地域の被害はさほど大きくはありませんでした。
当時、小学生だった私は、その日とりあえず登校したし(もちろん校門前で帰らされました)、家が倒壊して避難している友だちなどもいなかったのです。
ただ、昼夜問わず襲ってくる余震や、テレビに映し出される神戸の街などの映像を見て、怖くてなかなか眠れなかったことを覚えています。
当時のことは、父と一緒にポリタンクを持って商店街を歩きながら水を汲みにいったこと、小学校の給食がパンと果物だけになったこと…そんな断片的な記憶があるぐらいでした。
被害の少なかった地域であったことはもちろんですが、それ以上に親をはじめとするたくさんの大人に守られていたんだと思います。
30歳の同窓会で再会した小学校の先生は、今でもあの時のことをはっきりと記憶され、「自分のことで精一杯で子どもたちをしっかり送り出してやれなかった(ちょうど小6で、卒業を控えていました)、本当にごめんなさい」と手紙に書いて渡してくれました。
3.11の東北震災や津波、異常気象などによる水害…私たちの穏やかな日常というものは、いとも簡単に奪われてしまうのだということ。
あの頃、子どもだった私が守られていたように、次は私が守る側にしっかりとなれるのかな…と不安もあるけれど、まずは備えること、と思い避難リュックを再確認。
着替えは足りないし、非常食の期限は切れてるし…あれこれ交換したり追加したり。
備えると少し、安心しました。
このリュックが役に立つ日がきて欲しくはないけれど、もしものために。