昨日、知り合いの幼稚園で放射能被爆に関する講演会があり、参加させてもらいました。
3.11以降、福島第一原発の事故で信じられないようなことが現実となってしまい、それが今もまだ続いているのが現実...
昨日、講演会に招かれた講師の方は、「原発の危険性を考える宝塚の会」の世話役をされています。この会は30年前から宝塚で活動されていて、25年前のチェルノブイリの原発事故の時も支援をして、今も支援を続けています。
つまり、原発事故による放射能汚染や被爆についてずっと見てこられたのです。
3.11以降、雨が降るたびに、「この雨に大量の放射性物質が含まれて、日本に降り注いでいるんだなぁ」と暗くなりました。
実際、関西にもその雨は降り注いでいるわけで、我が家の小さな畑の土も汚染されているのかなと考えることも。
土と水が汚染されてしまったので、野菜や牛乳、魚などあらゆる食べ物の放射能汚染が心配されています。
小さな子どもほど放射能被爆による影響は大きく、食べるものに気をつけなくてはならない状況になっています。
それは親として、大人として、避けられないことです。
昨日の講演会での話は、その現実をまざまざと感じさせられました。
チェルノブイリと日本は約8000kmの距離があります。それでも、チェルノブイリの原発事故の時には日本も放射能汚染があったこと。じゃあ、福島から日本全国どれだけ距離があるのか?
そう考えたら、決して軽く考えるべきではないということは確かです。
原発事故から25年経った今でも、ベラルーシでは子どもたちはその影響を受け、80%の子どもがなんらかの疾患を抱えているそうです(免疫系、脳・心疾患など)。
今、福島にいる子どもたちの被爆量は、毎日4枚のレントゲンを撮っているのと同じだそうです。何かの病気を見つけるために撮るレントゲンでの被爆とは違い、ただただ無条件に、無差別に、放射能を浴びせられているのです。
福島にとどまっている方たちは、みなそれぞれの事情があり、簡単には避難もできず、私の想像をはるかに越える不安や悩みを抱え日々を過ごしているのだと思います。
それをわかっていながら、なかったことにしようとしている国や政府に問題があるのです。
講演会には、福島の伊達市出身の方がいらっしゃいました。
その方は「福島出身で...」とフクシマという言葉を発するだけで、涙がこぼれてきました。3.11以降、フクシマという言葉は全くちがう意味を含んでしまいました。
とても自然が豊かで、今の季節はリンゴの収穫だけれども、今年は出荷もできずにいる、両親がまだ残っているけれども、自分自身、これからどうすればいいのかわからない、と語られていました。
その方の話で一番印象に残ったのが「もし次に西日本にある原発のどこがが事故を起こしたら、日本全土が終わってしまう」という言葉です。
今回の原発事故で、程度の差はあるものの北海道から西日本まで放射能汚染が明らかになりました。
もし、西日本の原発に何かあったら...。その可能性は誰にも否定できないのであって、自分たちがそんな危うい暮らしをしているということを、今、それぞれが考えていかなければならないのだと思います。
そして、福島や被災地で今も暮らしている方がいること、原発で作業している方がいること、放射能で土壌が汚染されたために種を蒔くことを諦めざるをえなかったり、何十年もかけて育てた果樹を切ったりしている農家の方がいること...そういったことを忘れず、心に留めておかなければいけないと思います。
私の言葉や知識ではとても足りないので、今回の講師をされた方のブログをご紹介しておきます。もしよければご覧ください。原発のことだけでなく、いろいろな情報があります。
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山猫の日々